ロシアの国立バレエ学校では、ダンサーに何を教えようとしているのでしょうか?
コールドには一糸乱れぬ踊り?
ソリストには華麗なテクニック?
この写真が見事にその答えを写しています。
この写真、本当に素晴らしいです。
完璧なまでに4人のタイミングが合っています。
腕の方向、顔の方向、脚の方向、脚の開き具合、全てにおいて統一感があります。
ワガノワ・バレエ・アカデミーでは、
教師たちは、この写真のようなダンサーたちを育てることを目標としています。
それは、
統一感のある動きが出来るダンサーに育てる
ということ。
教師と生徒が同じ感性を持って、最終目標まで進んでいく。
そのために必要なものが共通概念です。
その共通概念を生徒に植え付けるために使われるのが「バレエ教授法」。
バレエダンサーを育てる上でもっとも重要な情報がまとめられたものです。
共通概念なので、
・個性を重視したり、
・生徒の自主性を尊重したり、
・自由な表現をさせたり
していたら獲得できません。
今どきの日本人からすると、共感できない価値観かも知れませんね。
8年間バレエ学校でダンサーになるための教育を受けたエリート中のエリート達が、さらにフルタイムで複数年かけて修得しているのが、このバレエ教授法です。
これは、バレエが国家資格となっているカナダやフランスでも同様です。
ワガノワのバレエ教授法では、1年生・2年生では、
「上体の保ち方が全て」
という指導がなされます。
この学年では、動きの統一感というものはまだ存在しません。
そもそも踊りになる以前のことしか学びません。
3年生になってようやく踊りっぽい動きを学び始め、
統一感が生まれてくるのは、高等学年の6年生ぐらいからです。
日本だと、プレコンクールなどで低学年の子ども達が作品を踊っていますが、ワガノワの教授法的にはあり得ないことです。
さて、この、
「統一感」
とは、一体どのようなものでしょう?
生徒全員が、
同じ視線、
同じ首の使い方、
同じ頭の傾き方、
同じ脚と手の動かし方をする。
しかも、同じ感性を持って。
ここに統一感が生まれます。
これらは一朝一夕に成し遂げられるものではなく、
1年生の第一レッスンからこの統一感を目指して、教師は地道に指導し、生徒は地道に学びます。
もし、動きに対する捉え方(概念や感性)が生徒によって違うと、動きに差が出てきてしまいます。
生徒Aは、教師の真似を徹底反復して動き、
生徒Bは、解剖学的な知識に基づき合理的に動き、
生徒Cは、教授法に則った共通概念に従い動いた、
としましょう。
するとこの3人は、まるで異質な動きをすることになるはずです。
なぜなら、共通項がないから。
バレエ学校で一つのメソッドに従い指導するのは、こういった生徒間の不統一をなくすためです。
仮に、解剖学的な観点で指導するのなら、学校全体でその観点を踏襲しなくてはなりません。
そうすれば統一感が生まれるでしょう。
ですが、それは、もうバレエではなくなります。
バレエは300年の歴史がある伝統芸能です。
その300年の歴史の中で培われてきた指導の要がバレエ教授法です。
それを無視して、柔らかい体、高く上がる脚、強いジャンプ力を兼ね備えて踊っても、それはバレエではなく、ただのエクササイズです。
ロシアの国立バレエ学校に限らず、世界最高レベルのバレエダンサーを輩出するバレエ学校では、入学時に厳しいオーディションをします。
ここで、身体条件や音楽性、思考力といったバレエダンサーになるために必要な前提条件を満たした生徒を選びます。
身体条件で求められるのは、バレエを踊るのに適した身体かどうか。
解剖学的標準からかけ離れた体を探しているわけです。
たとえば、股関節。
ターンアウトしやすい骨格であることが求められます。
ここで求められているのは、解剖学的にはほとんど例外領域の股関節です。
したがって、バレエの指導において、
「解剖学的に正しい」
という表現は適切ではありません。
わざわざオーディションで例外的な身体を探しているのですから。
これを踏まえて、ワガノワ・バレエ・アカデミーでは、レッスンの中で解剖学的表現は意図的に行わないようにしています。
ワガノワ先生ご本人が決めたことですが、解剖学的表現を使うべきかどうかで葛藤があったことが書き遺されています。
結果的に、
「解剖学はバレエの指導に取り入れるべきではない。」
との結論に至りました。※1
その理由は、生徒の勝手な解釈を許してしまうから。
境界のない人間の体を、個々のパーツに分けて捉えることにはそもそも無理がある。
それに加えて、身体条件のばらつきも無視できない。
これらが共通概念の形成の邪魔(ノイズ)になるのです。
たとえば、骨盤と股関節、太ももの境界を明確に定義できるでしょうか?
さらに、それを教師と生徒全員が共通感覚として体感出来るでしょうか?
ワガノワ先生は、「出来ない。」と判断しました。
それは今日でも変わっていません。
これは解剖学だけの問題ではありません。
解剖学も、栄養学も、運動学も個々に発展はしてきているけど、それらをどこまで深く学んでもバレエにはなりません。
そこに答えはないということです。
パソコンのフォルダの中に複数のフォルダが並ぶのと同じです。
解剖学を学べば、解剖学フォルダの中の情報が増えます。
音楽性を養えば、音楽性フォルダの中の情報が増えます。
他の要素についても同様。
でも、それらを増やすだけでは情報が増える一方です。
情報を増やすことがバレエ教師の役目でしょうか?
そんなことはありませんね。むしろ逆です。
バラバラに存在する要素を統合してバレエにすることです。
そのためにバレエ教授法があり、これに基いてバレエを習得した生徒にバレエ的な統一感が生まれます。
様式美と言っても良いものです。
これは、教授法のフォルダが一つ上の階層にあるからできることです。
さまざまな情報をバレエの様式美に統合するバレエ教授法のもとでレッスンがなされるから、必要な情報が残り、無駄な情報が排除されます。
世の中の進歩発展に合わせて情報も更新されていきます。
フォルダの構造が変わらなければ、統一感がなくなることはありません。
バレエの醍醐味。
それはダンサーたちの統一感(様式美)を感じること。
ソリストもこの統一感を目指して指導を受けて来たので、コールドの中で一際華やかさが引き立つようになります。
彼らは共通概念を持って、役割に応じた統一感を表現しています。
上記の写真のような完璧なまでの統一感は、共通概念なしには生まれません。
この共通概念こそがバレエを芸術にまで高めていると言えます。
このことに気付かず、解剖学や何か他のことに答えを求めてしまうのは、バレエ教授法を軽く見すぎています。
なぜ軽く見てしまうのか?
それは
バレエ教授法を学んでいないから、
ではないでしょうか。
バレエ教授法は知らないけど、他の分野の専門知識が深い。
すると、
その専門知識で体のこと、動きのことを解説できてしまう。
それで、「バレエを解説できる」と思い始めてしまう。
これを
「無知の無知」※2
と呼ぶそうです。
ところで、
ワガノワ・バレエ・アカデミーでは、
・身体条件が良くても他の条件を理由に退学させられたり
・身体条件が悪くても入学が許可されたり
する場合があります
それはまたの機会にお話します。
参考資料
※1 『解剖学をバレエに生かす極意と鍛錬』 https://youtu.be/h7OXE5j_UQs
※2 『実験で証明!「知識や技能が低い人ほど自己評価が高い」』 http://president.jp/articles/-/21413 PRESIDENT Online