
バレエは、言葉のない演劇と言われます。
舞踊劇と訳されます。
では、ソロで踊る場合はどうなるでしょうか?
劇というからには、ストーリーがあり、登場人物がいて、
それぞれの踊り手がそれぞれの役になって、物語を表現します。
ネオクラシックのようにストーリーのないものもありますが、
ここでは古典作品について触れます。
例えば、白鳥の湖のオデット姫。
全幕ものなら、全ての登場人物との絡み合いがあるので、オデット姫は「登場人物の中の一人」という位置づけで劇が成り立ちます。
でも、舞台上にオデット姫一人だったらどうでしょう?
オデット姫一人で、他の登場人物があたかもそこにいるかのように表現しなければなりません。
とても高度なテクニックが必要になります。
例えば、コンクールで踊るオデット姫のヴァリエーションって、
もしかして一人芝居なのではないのだろうか?
なんて、考えたりしています。
一人で、その情景や、登場人物の絡み合い、それら諸々を表現する。
それってとっても難しい。
普通、演劇の世界では、一人芝居は、相当実力のある役者さんがやるものですよね。
そこにいない人を表現する。
その上で、自分の役所を演じるわけです。
なかなか素人にはできそうにないお芝居です。
ヴァリエーションの表現も、見えない相手を見せるようにする、というお芝居を含んでいると思います。
本物の白鳥はいないけど、あたかもいるかのように踊る。
本当の喜怒哀楽はないけれど、あたかもあるかのように踊る。
つまり、嘘の世界をいかに本物のように見せるかというところが、お芝居のテクニックだと思うのです。
となると、若手の登竜門であるバレエのコンクールで、そこまでのテクニックを持っている生徒というのは、少ないのではないでしょうか。
劇を演じるテクニック、ステップを踊るテクニック
この両方が相まってのヴァリエーションではないかと、思うのです。
いや、そうじゃなきゃ行けないと思うのです。
ヴァリエーションのテクニックはこなせても、お芝居にならなきゃ舞踊劇にはなりません。
日々テクニックだけを練習している若い生徒が、劇を演じるというのは難しいことだと思います。
ですが、ステップと同様に劇を演じるテクニックを習得すれば可能になると思います。
日本では、テクニック重視で、劇としてのバレエを見失いがちですが、
ぜひ、バレエは舞踊劇なのだということを念頭に置いて、一つ一つのステップに向き合って欲しいと思います。
参考動画(ワガノワ・バレエ・アカデミーの演劇クラスの模様です。「キス」の練習風景)
This is how you kiss a girl. Acting class at Vaganova Ballet Academy. Alexander Stepin and his students. pic.twitter.com/ZGSaVzChd1
— VBA Tsiskaridze News (@ntsiskaridze) 2016年5月16日