
オーロラの第3幕のヴァリエーション。
最後の斜めのターンに入る前の
そう、あのデヴェロッペ・ターン。
どっちなんだろう?
エカルテ・ポーズのターンだという方、多いでしょうね。
NHKで放送された「スーパー・バレエ・レッスン」で
講師の吉田都さんは、
はっきりと
「エカルテ」と指導していらっしゃいました。
(吉田都さんほどの実力なら、エカルテだろうがなんだろうが問題ないはず…なのは言うまでもありませんね)
私自身もエカルテ後ろだと思っていました。
(ただ、顔が左手下の方を向いていないダンサーが多いのも事実で、このポジションについてモヤモヤした感情を持っているのも確かでした)
ですが、
私が師事しているバレエ教授法の先生は、
「エカルテのターンは存在しない」
と、仰っています。
エカルテ後ろのポーズを取る時、
ワガノワの教科書には
「エカルテ後ろのポーズは、抒情的な感覚を持って行ってください」と、書かれています。
(『ロシアバレエレッスン ① 初級編 第1学年』 エマ・A・プリャーニチコワ著 音楽之友社 165p』)
オーロラが結婚式を迎える喜びを表現した3幕のヴァリエーションで
「抒情的」はあり得ない…。
これは演技法の観点からもおかしいということになります。
とすると、これはエカルテ後ろではない、という仮説が成立します。
じゃ、あれは一体何なんだ?
先に述べた教授法の先生は、
「あれは実は、エファッセ前のターンなんだよ」
とおっしゃいました。
「顔の向きがエファッセを向いているだろう?」
おぉ〜、そうなのか!
ターンする力に持って行かれて動脚がエカルテの方向に行ってしまう、というだけで、
エファッセ前に上げようとしなくてはいけない。
とのこと。
最初からエカルテ後ろに上げようとしたら、遠心力に負けて動脚を進行方向に持っていくのは困難、だとも。
遠心力を事前に計算しながらポーズを取らなくてはいけないということ、なのです。
至極納得です。
ワガノワの教授法は、バレエ力学を言葉にしたものだ、と先生が仰っていましたが、
本当にそのとおりだと思います。
奥が深すぎます。
ですが、
エカルテ後ろのように顔の向きを下にしているダンサーが多いのも事実。
(エカルテ前として顔を右上に向けているダンサーもいますし…。ちなみにエカルテ前は「威厳を持って誇り高く行う」ので、演技法の観点からはオーロラに合っていると言えますね。でもロシア・メソッドではエカルテのターンは存在しないということなので。)
そこはメソッドの違いか(ロイヤル・メソッドとロシア・メソッドでは取るポジションが違うことがあります)、教授法が抜け落ちているかのどちらかだと思います。
バレエ力学を重視するか、それ以外の事を重視するかで
指導に差が生まれます。
バレエ力学以外を重視するのなら、なぜそれを重視するのかという裏付けが必要になるのは言うまでもありません。
ワガノワの教授法ではエファッセ前なので、ロシア・メソッドで育った二人のダンサーで問題のポーズを見てみましょう。
ザハロワのオーロラは顔の向きがエファッセですね。脚はエファッセにもエカルテにも上げているように見えます
オスモルキナのオーロラは顔の向きはエファッセだけど、脚はエカルテに上がっているように見えます。
やっている本人に聞かないとわかりませんが、
感覚としてエファッセに出してはいるけど、見た目はエカルテ、というのが落ち着く結論かもしれません。
難しいステップではありますが、みなさんも試してみてはいかがでしょう?
エファッセに出そうとしてみる。
エカルテに出そうとしてみる。
両方を比較して、動きやすさ・動きにくさを体感してみてはいかがでしょうか?
バレエ力学と教授法の関係が体感できると思います。
これを体感(一次情報化)してから私は、必ずエファッセで指導するようにしています。
オーロラで抒情的はあり得ないということと、遠心力を考慮したらエファッセ前だと確信するからです。
見よう見まねの指導だと、この力学の本質が抜け落ちます。
コピーのコピーが劣化するのと同じように。。。
参考図書:『ロシアバレエレッスン① 初級編 第1学年』エマ・A・ブリャーニチコワ 著 音楽之友社
※バレエの法則を学びたい方は下記をご覧ください。