ラ・バヤデール。
踊り子ニキヤと戦士ソロルの悲恋の物語。
特に素晴らしいのは、第3幕の影たちの登場。
でも、素晴らしいはずの踊りが、素晴らしくない踊りになることがあるのです。
なぜでしょう?
影たちが登場する動きは、
歩いてからのアラベスク・プリエ。
数十名で織りなすあのアラベスクは、作品の中でも特に美しい場面を作り出していると言えます。
パリ・オペラ座バレエ団の練習風景をご覧ください。
きれいなアラベスクです。
アラベスクに入る前の歩きはどうでしょう?
先頭から2番目のダンサーの歩き方はとてもいいですね。(先頭のダンサーは膝がひょこひょこしていて、ちょっと難ありです)
バレエにおいて「歩く」は、バットマン・タンデュの応用です。
ですので、足が着地するときは、つま先と膝は伸びていないといけません。
パリ・オペラ座バレエ団のダンサーはバットマン・タンデュが出来ています。
タンデュで出した足先からア・テールにし、上体を乗せていきます。
タンデュにしてから重心移動をするのです。
さて、次はこちらの動画です。
0’33あたりのダンサーたちをご覧ください。
膝が曲がった状態で重心移動をし、そこからアラベスク・プリエに入りました。
これはロシア派の教授法ではあり得ない動きです。
ラ・バヤデールはマリンスキー劇場で初演された作品です。(初演時の劇場名はキーロフ劇場)
ですので、ロシア派の流れを踏襲してほしいと思うのは私だけでしょうか?
それは、メソッドによる動かし方、教授法に則った動かし方をしてほしいということです。
上記 HoustonBallet 団の動きは、教授法に則っていません。
バレエっぽいけど法則から外れた動き。
残念です。
バレエ教授法では、
プリエに入るときは、伸びた脚から膝を曲げる、と指示されています。
ですので、アラベスク・プリエに入る前の膝は伸びているべきです。
タンデュの応用で歩くのですから、影たちの登場では、プリエからアラベスクに入ることはしません。
では、どのようなときに膝を曲げるのでしょうか?
それは「走る」ときです。
Pas couru (パ・クーリュ、意味=走る)。
「2回の序奏の和音。1回めで、demi-plié。2回めで、両足をそろえたまま、外に開かないでポアントで立ちます。ザタクトのトで、わずかに膝を曲げながら、右足のつま先を少し床から離し、1で、再びもとにもどして、すぐに膝を伸ばします。」(『クラシック・バレエの基礎』N.バザーロワ/V.メイ著 かるさびな出版 83pより引用)
上記は、ポアントでの Pas couru の動かし方です。
走るときは、膝を緩めて若干曲げてそこから伸ばします。
教授法では、膝を露骨に曲げ伸ばししてはいけない、となっています。
膝を緩めるけれど、膝が伸びている印象を残すように動かす。
これがポアントでの Pas couru で気をつけなくてはならない点です。
ドゥミ・ポアントでは、どうでしょう?
ドゥミ・ポアントで走る場合は、ポアントでの行い方と少し違って、「歩く」の歩幅が大きくなった動きと捉えます。
「走る」は「歩く」の応用です。
膝は柔らかく使いますが伸ばした感覚を失わずに、走らないといけません。
まず、「歩く」とこをマスターした上で、「走る」動作に移行してきます。
Houston Ballet のダンサーは、すごく膝が曲がっていました。
ですので、Pas couru の動かし方でもないわけです。
もちろんアラベスク・プリエに入る手前は走っていませんでした。
教授法で指示されている意味での「歩き」でもないし、「走り」でもない。
バレエにはない動かし方になっていたと言えます。
強いて言うなら、
「スケートのアラベスクの入り方」でしょうか…。(「スケートをする人々」というバレエ作品はありますが…)
バレエの継承はどうやって保たれるのだろうか?
そんなことを考えるきっかけとなった Houston Ballet 団の動画。
伝統を守るためにバレエ教師が本来するべきことがあると思いませんか?
私にとっては大事件でした。