
私のバレエ教授法の教師はスラーヴァ先生です。
スラーヴァ先生に教授法を教えた教師もいらっしゃいます。
そしてその教師にも教師がいました。
そうやって遡っていくとたった一人の教師にたどり着きます。
それはアグリッピナ・ワガノワ先生。
アグリッピナ・ワガノワ先生の墓前にて(2018年)
このようにロシアバレエ教授法はワガノワ先生からその教え子へ、またその教え子へと受け継がれています。
こういった系譜を前に私が思うことは、教授法を学んだ教師の責任は重大だということ。
まず大前提として正しく教える責任があります。
以前の私もそうでしたが、つい指導内容をアレンジしてしまう事がありました。
当時は、
メソッドの良いところを残しつつ自分なりにアレンジしている、
と思っていたのですが、それはとんでもない勘違いでした。
アレンジしたのはメソッドを理解していなかったからに過ぎず、結果が出せていなかったからです。
アレンジに逃げたと言ってもいいです。
その時は良かれと思ってアレンジしていたわけですが、また何かうまく行かないことがあるとまたアレンジをすることになります。
結局、元のメソッドとはかけ離れてしまい、何のメソッドだかわからなくなってしまう。
それなのに自分は●●メソッドで教えている、何てメソッドに対して失礼です。
それに気づいてから自己流のアレンジには慎重になりました。
また、生徒が上手になったとき、それは誰が育てたのか?と、考えることがあります。
私が育てた?
いやいや、それはあまりにもおこがましい。
私が育てたのではなく、メソッドでしょう。
ロシアバレエ教授法には、生徒を上達させるシステムがあります。
私が本校でバレエ教師再教育プログラムを受講した際、ワガノワ教授法最高責任者マリア・グリバーノヴァ先生が講義の中で、はっきりと「バレエ教授法はシステムだ」とおっしゃっていました。
そのシステムを理解すれば、生徒を上達させることは作業となります。
もちろん骨格的にそのシステムに乗らない生徒もいますので、くふうは必要です。
ですが、システムさえしっかり理解すれば、くふうもまた難しいものではありません。
ここで先ほどのメソッドを理解しないままのアレンジとは一線を画すことになります。
私は、バレエ教授法をシステムとして捉えることはまったくそのとおりだと思っています。
だから、生徒を上達させたときに、自分が育てたとは考えたくないし、考えること自体がおこがましい。
ロシアバレエ教授法の前では、誰が育てたかという質問自体意味を持ちません。
なぜなら、メソッドが育てたにほかならないからです。
バレエ教師をしていると、生徒さんを上達させたいという気持ちを強く持つようになります。
その気持ちは、大人に対しても子どもに対してもおなじです。
「このダンサーは私が育てた」
この感覚は、私にはありません。
「このダンサーは私の教え子でした」は、あります。
だいぶ意味合いが違います。
ワガノワ・バレエアカデミー クラシックバレエ教授法 ディプロマを頂いてから、「教える」ということを改めて考えるようになりました。
生徒を育てるというのは全責任がバレエ教師にあるように感じます。
ですが「教える」は、もともとあった教授法で教えるので、教授法に責任があります。
教師の責任は、教授法を正しく伝えたかどうかという部分にあります。
ディプロマを取得したからには、正しく教えたかどうかという部分の全責任が私にあります。
なぜならそもそも教授法通りに教えるのは簡単ではないからです。
常に知識のアップデートが必要ですし、生徒を注意深く観察し何が間違っているのか、どうすれば良くなるのかを適切な表現で指導する必要があります。
教授法という圧倒的な存在を前にすると、その正しさを伝えるだけで精一杯になるわけです。
教えることはあっても育てることはありません。
育てるという責任を感じて教えることが教授法には不要なのです。
育てるという感覚はバレエ以外のところで持つ感覚かもしれません。
例えば子どもに対して、バレエに向かう気持ちを持たせる、そのための言葉がけに神経を使う教師は、その子がバレエに向かえるように育てたと言えるかも知れません。
これは人間性を育てたのであって、バレエにおいて育てた、とはならないと思います。
ここを混同すると自分の手柄と勘違いします。
だから、教え子たちが国内外でプロとして活躍しても私は距離を置いています。
手柄をアピールすることもしません。
そんな傲慢さを持たないように、謙虚にバレエ教授法と向き合う。
それが私のバレエ教師としての立ち位置です。
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