
どこまで疲れさせる?で、レッスン時間について触れました。
長時間レッスンをしてしまう背景には、
1. できるまで繰り返せばよい
2. やればやる程よい
という思い込みがある、と。
問題は時間の長短なのでしょうか?
海外国立バレエ学校では、どうなのか実例を挙げてみます。
現在ウクライナのキエフ国立バレエ学校に、高1男子の教え子が留学しています。
キエフでは9年生(ロシア・メソッド8年制の5年目)の生徒です。
彼のクラシックのレッスン時間は90分を越える事がありません。
却ってそれよりも少ないことの方が多いそうです。
開始予定時間よりも遅く始まり、終了予定時間よりも早く終わることがあるそうです。
それでも生徒たちは毎レッスン、クタクタで、
「90分なんてとてももたない」
と、もらしているそうです。
なぜそういうことが起きるかと言うと、
その日の課題は全て行ったから ということのようです。
その日に行うべき課題は、前もってカリキュラムによって決められています。
どの程度のレベルで踊らせるか、ということも決められているので
教師はその基準に則って指導をします。
レッスン時間内に、その日に行う全ての課題を目安のレベルまで持っていけば、
レッスンは終了です。
基準を満たしたので、それで十分ということです。
課題をこなした上で、レッスン時間が余っているからといってレッスンを続けることはしません。
ロシア・メソッドでは、8年間で何を教えるかが決まっています。
そこから逆算して、学年別に何を教え、その日に何を教えるのか。
計算された指導が徹底されているということです。
レッスン時間の長短は問題ではなく、その日の課題を指導できたかどうかが問題なのです。
国立バレエ学校には、学年別に何を教えればよいか
一年間に何を教えればよいかというカリキュラムがあります。
カリキュラムがあれば、日々のレッスンで何を教えればよいのかが決まります。
カリキュラムがないとすると、何をどこまで教えればよいのか決まっていないことになります。
では、何を基準に指導しているのでしょうか?
長時間レッスンの背景にある二つの思い込み
1. できるまで繰り返せばよい
2. やればやる程よい
「1. できるまで繰り返せばよい」は、以前の記事で書いたように事実上の独学です。
独学より少ない反復で、より短い時間で出来るように導くのが指導です。
そう考えると、「1. できるまで繰り返せばよい」は教師の怠慢か指導力不足が原因です。
予定時間より早くても切り上げてしまうキエフの先生とは大違いです。
「2. やればやる程よい」は少し複雑で、次の二つが背景にあるように思います。
2-1. 頑張ることは素晴らしい
2-2. やらないと不安
「2-1. 頑張ることは素晴らしい」は、努力を褒め称えるという点では決して悪いことではありません。
でも、努力は上達するという結果を得るための手段でなければなりません。
それが、単に「努力すること自体が素晴らしい」となってしまって、結果に目を向けなくなってしまった状態です。
「2-2. やらないと不安」は、「とことんやらないと上手にならないのではないか」という漠然とした不安のことです。
しかし、不安とは、「対象のない恐怖」のことです。
対象がないので、対策が立てられません。
だから、不安から逃れようと時間の許す限りレッスンしてしまうのです。
でも、限界までレッスンしたとしても、もっと時間を伸ばさないととか、レッスンの回数を増やさないと、と次の不安が襲ってきます。
なぜそうなるのかというと、何をどこまで教えたら良いかという基準を持ち合わせていないからです。
「今日はここまで」と切り上げられるキエフの先生とは大違いです。
この判断基準こそが、カリキュラムなのです。
カリキュラムのない指導はどこへ向かうのか、ぜひ考えてみてください。
少なくとも、レッスンの質においても量においても、最適ではないはずです。
ところが、日本では、
カリキュラムがなくても、バレエレッスンが成立してしまいます。
教師の教育機関がないことや、バレエは習うより慣れろで十分という間違った認識が問題の背景にあります。
それらの問題を解決するカギが、このブログで紹介しているようなバレエ教授法だと私は認識しています。
ところで、
この記事のタイトルは「レッスン時間90分は長いか?短いか?」でした。
答えは、「その問い自体が間違っている」ですね。